迎え火

お盆です。ご先祖の霊と交流する時ですね。 今日は玄関でほうろくをおいて、麻がらで迎え火をしました。

前回の日記に書いた、本物と偽物・粗悪品を見抜く眼ということで、祖父を思い出しました。

祖父は結構裕福だったので、骨董品を収集するのが趣味で、小学生の頃遊びに行ったおりに、いつも掛け軸や欄間額や壷などを「これなあに~?」とか興味深々で祖父に聞くととてもうれしそうに詳しく説明してくれました。 12人いた孫の中でも骨董品などに興味を示す子は2人しかいなかったと言っていました。 祖父としては大切にしている骨董品の説明をするのがとてもうれしかったようです。

祖父がうちへ同居していた頃には、鳥取大学の助教授みたいな人がうちの骨董品の写真を撮りに来た事もありました。 孫といっしょにたくさんの骨董品を眺めながら話しをするのが大好きな祖父の近くにいたせいか、ある程度の見る眼というのは子供の頃から養われていたと思います。

私が小中学生の頃、風呂焚きは子供の仕事で、いつものように新聞紙を丸めたり、薪を入れたりして火がしっかりつくのを待っていたら、煙突のあたりにヒラ~リヒラ~リ舞う習字の紙がありました。少し破れていましたが何気なしに見ていたら、すごいうまい字、いくらなんでもこれは私の字じゃないわ~。でも姉はもっと下手な字だし、誰のだろう?とその紙を両親の元へ持っていき、「これ誰の習字なの?すごいうまいんだけど。炊き付けにするの勿体無いよ。」と言ったら、返って来た返事に驚愕。

「それ、おじいちゃんが置いていった原敬の書だわ。でも破れてしまってるから、もういらないかな~と思って。」などと言う。 「捨てるんなら、私が貰うね。」と言ったら途端に惜しくなったらしく、数日後、 「やっぱり修理して表装することにしたわ。その代わり私らが死んだ時にはあんたに遺してあげるからね。」という。表装代で10万円ほどかかったらしいけれど、りっぱな欄間額になっています。

原敬(1856-1921)は教科書でチラッと出てくる日本の元首相です。 なんでも祖父が駅長をやっていた時に、なんらかの便宜を図ってそのお礼に直接貰ったとか。昔のえらい人は達筆な人が多いです。政治家の便宜といってもお金のやりとりでなく、書を書いてお礼する、というのは気持ちのいいものですね。