時間と空間、物質を超える生き方
先日、急な用事で福岡へ行ってきたのですが、いつも利用している空港近くのスパには、小さい部屋しか空いてなくてやむなく窓なしのお部屋。
いつもは寝つきの早い私が、寝入りそうになると、廊下でドスドス足音と共に、子供のはしゃぐ声や、おばさんの声、若者のグループらしき声で目が醒めてはまたウトウトを繰り返すはめに。時間帯は、2時~4時。きっかり4時すぎるとその騒音は消えて明け方になってやっと熟睡できました。
起きてから横で寝ていた寝つきの悪い身内にその話をすると、「全然何の音も気にならなかったし、聞こえなかった。」とのこと。やっぱり。。オルゴールのように同じような人たちの声と足音が繰り返されてたなあ、、、。
残存想念エネルギーのなせる技のようです。悪い感じではなく、楽しくはしゃいでいた人たちの残存想念が残っているのです。
でもうるさかった。。。。ホテルや旅館に宿泊すると、よほど気の流れをよくしているところでないと、こういう現象はふつうにあります。
ふだん家族旅行でいくところは、箱根の人気のホテルで清潔感あふれ、庭には清浄な滝の流れるところと決めています。気の流れがよいので、残存想念エネルギーに煩わされることがありません。
以前、○大病院の救急病棟で土日だけバイトしていた頃は、病人というのは生体エネルギーが弱くなっている人が多いこともあり、生きている人なのか、亡くなっている人なのかよくわからない人がフラフラと歩いているのを見かけました。知人の感じる看護婦さんに話をしたら、「うん、(亡くなった人の)足もあるし、ふつうに歩いてるよね。」という返事でした。
2つのドアを開けて入る検査室のうち、1つのドアは開いたけど、2つめのドアは開かないまま人が消えたり、平日対応のみの外来病棟の体育館並みに広い地下室へカルテをとりに行くのがいやで、誰かいるといいなあ、と思って行くと、たいてい同じ女医さんが一人、入り口の部屋のいつも同じ場所でカルテをじっと見つめて調べものをしています。他の人がいることも稀にあり、その人は確実に生きている人だという自信があったのに、この女医さんだけは誰とも話していないしちょっと不思議な感じでした。
集中してカルテを見ているのか、動かないのですが、いつも彼女を見るとほっとしていました。
けれどあとになって、あの女医さんの画像は残存想念エネルギーだったような気がしてならないのです。声は聞かず、顔もまともに見たことはありません。生体エネルギーがほとんど感じられなかったこと、その病棟はすべて休みで、真っ暗なので、電気をつけながら進んでいくのです。まれに研究生の方等が調べることはあるけれど、、、、。私が誰かいるといいなあ、と思っていたので、残存想念エネルギーが見えたのではないかと。
著者の成瀬氏は、ヨガの先生ですが、ヒマラヤ聖者の数百年も前の残存エネルギーを感知して学ばれたりされています。