上皇后という称号を自分に冠した権力の権化美智子
上皇后などという称号は今まで日本にはなかったのですが、中国人ぽい美智子さんが、自分の立場を強化したい一心で、自ら制定したものです。
もともとその称号自体、中国のものです。
「上皇后」という称号自体は、中国前趙の昭武帝の皇后である靳月光(きん・げっこう)の時に使用されています。
東宮家、秋篠宮家などに配置されるスタッフまで美智子が決定権を持ち、皇室の中は勿論、宮内庁も意のままに動かしており、さらには政治にまで口を出し、その結果が天安門事件の訪中まで行ってしまったのでしょう。
いままた、習近平の国賓待遇招待などと言っているのは、美智子以下日本国内にいる中国子分たちの動きです。元c国共産党解放軍兵士だったのなら、随分出世したものです。
日本国民が総反対する中、習きんぺーを国賓待遇招待したいという政治家の名前を国民へ公表すべきでしょう。そうすればいろんなことが明らかになってきます。そういう人たちは、自分の言動をゴリ押しすることはしても名前を隠そうとするでしょう。誰かの責任になすりつけるためです。そう、安倍総理の責任にすれば一石二鳥なのです。日本侵略と、愛国政治家の排除。
本来、天皇は国の祭祀長であり、政治に口出しをする立場ではありません。日本人の感覚を持たない美智子ならではの言動です。
皇太子妃の時代は、同じような顔に整形した10人以上の美智子(母方の九州の村の出身女子20名ほどが美智子入内時にいっしょに上京しています。)という後宮の中での競争。その頃は、皇太子の方が立場が上だったはずです。メインは身長が高くスラリとしたバンビ(美智子)。このバンビは、一番やり手だったのか、他の後宮たちの出る幕はどんどん減っていきました。
しかし、バンビは調子にのって昭和天皇の怒りをかってしまいました。その後まもなくしていなくなり、代わりに中国人のような美智子が入ってきて、まもなくして昭和天皇が崩御されました。バンビなど、10年以上の長きに亘って皇室の一員として暮らしていますし、もともと日本で生まれ育った人ですから、犯罪レベルのことはできなかったと思います。しかし、日本の皇室を乗っ取る目的で、50代頃突然c国からやってきたような美智子であれば、冷酷なこともできたでしょう。
昭和天皇崩御、平成天皇即位 の時期の中国人のような美智子から天皇と皇后の立場が逆転、天皇が美智子に付き従うようになってしまいました。訪問先でも美智子が先に歩き、おいてきぼりの天皇が後をついて歩いている画像がしばしばあります。
その頃~仕掛けられたノロウイルス騒ぎあたりで、天皇も入れ替わったと思います。80才頃のエア心臓手術は、実際にはやっていないと言われていますので、天皇の人気度合いを知りたかったのだと思われます。国民からほとんど関心をもたれなかったようでがっかりしたのか、安心したのかどっちかなーと思っています。