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店長日記
超・ひも理論
2015年01月29日

毎月のスミルノフ学派のセミナーへ行って、真面目に自然&宇宙探求に取り組んでいるのですが、

その開催者のブログ http://golden-tamatama.com/  より

 

坂爪さんという、とあるホームレス体験をした男性のブログです。いばや通信

私 は、2014年の2月に諸事情により東京のホームをレスした。本来であれば自分で新しい家を借りるなりするのが筋なのだろうが、当時の私にはま るで金がなかった。最初は友達の家を転々とする日々を過ごしていたが、友人の少ない私には即座に限界が訪れた。この瞬間、私には二つの道がつきつけられ た。それは、家も金もない状態を「泣く道を選ぶ」のか、それとも「笑う道を選ぶのか」という二者択一であり、泣いても仕方がないと思った私は「笑う道」を 選んだ。

具体的には「Facebookなどの各種SNSで 自分の現状をつぶさに晒し、成り行きを見守る」という方法を私は選んだ。「家がないので誰か泊めてください」程度の懇願では、誰も泊めてはくれないだろう なと思った。そこで、自分はどういう人間性の持ち主で、どのような事情で家を失ったのか、所持金はいくらで、連絡先はこれで、実際的に明日の宿にも困って いるということを詳細に書いた。 すると、面白い現象が起こった。

Facebookに は「シェア」という便利な機能がある。私の投稿がまたたく間に拡散されまくり、自分の友人の範囲を越えて、まだ会ったこともない人からも「我が家に泊まり にくるか?」という連絡を立て続けに届くになった。この際、私が気をつけたのは「悲壮感を漂わせないこと」であり、誰も辛く悲しそうに過ごしている人間と 同じ時間を過ごしたいとは思わないだろうなと睨み、自分自身を可能な限りポップでラブリーな存在であるように投稿した。これが功を奏したのかもしれない。

謎 の現象は加速度を増し、いつしか「坂爪圭吾を泊めるための予約待ち状態」が発生(!)し、私は想像を越える出来事の連続にアゴを外す日々を送った。私は 「家がなければ生きていけない」と思っていたが、家を失ったら(いつでも泊まれる)家が増えた。私を泊めてくれる人々はおしなべて優しい方ばかりで、帰り 際には「困ったらまたいつでも来い」と言ってくれる。食料を持たせてくれる人もいれば、餞別をくれる人まで現れて、私は人間の優しさにイグナスの涙を流し た。

私は、こうした現象の連続に混乱すると同時に、もしかしたらこうした「家を持たない生活」に何かしら未来のヒントがあるような気が して、実験的に「家のない生活」をはじめることにした。人々の家にお世話になりながら、自分が感じたことをブログやSNSを通じて発信する。すると、面白 い現象は連続した。私のブログを面白いと思ってくれた人から「交通費を出すから泊まりに来てくれませんか?」という、謎の依頼が舞い込むようになったの だ。最初は佐賀県武雄市に 足を運び、そこから派生するように九州全般を回るようになり、いつしか「可能であれば講演をしていただけませんか?」という謎の依頼まで舞い込むように なった。家を失った当初は、まさか自分自身にこのような展開が待っているだなんて微塵も想像出来なかった。私は自分の都合のつく限り全国各地に赴くように なり、振り返ってみれば日本各地に知り合いが増えて、定期的に足を運ぶようになった場所も増幅した。

「坂爪さんはどうやって生活してい るのですか?」と、行く先々で頻繁に尋ねられる。定期的な収入のない私は、今でも頻繁に経済難に陥っている。全国各地で開催 されるトークセッションに招待される日々を過ごしていたが、基本的には主催者の方からも交通費程度しか頂戴していなかったので、自分の所持金が増えること は滅多になかった。しかし、人生は摩訶不思議なもので、自分が窮地に陥ると必ず何処かから救いの手が差し伸べられる。具体的には「少ないけれど使ってく れ」という心ある人からの餞別をいただくこともあれば、「謝礼を払いますので講演をしてください」とか「コラムの執筆をお願いします」などの依頼が舞い込 む形を通じて、私は九死に一生を得続ける日々を過ごしてきた。

もちろん、このような生活をしている と多くの批判も集まる。「お前は逃げているだけだ」とか「社会的責任を果たせ」とか「今は若いから良いけど、これからどうするつもりだ」とか「よろしく やってんじゃねえよ」とか「死ね」とか「消えろ」とか、今でも散々なことを言われている。私に批判や説教をしてくる人達の言葉にはある種の共通性があり、 要するに「そんなんじゃ生きていけないよ」と言いたいのだろうと思う。しかし、一度だけ冷静に考えて見て欲しい。事実、私は「そんなんでも生きてきてし まっている」のであり、こうした経験を通じて自分なりの経験値や考察を深め、何よりも「面白い体験を積む」ことに成功している。もちろん、これから先もこ うした状態が続くとは思わない。しかし、それは安定した職業に就いている人も同じであり、何が起こるかわからないのはお互い様である。

《超ひも理論2.0》に話を戻す。 こ こ一年間の私は、超ひも理論2.0 の原則に基づいたライフスタイルを軸に生きてきた。それは「人々からの施しを受ける日々」であり、言葉を変えるならば「人とのつながりだけで人間は生きて いくことができるのか?」を自分自身を使って試す実験の日々でもあった。現状の答えは「YES」であり、人とのつながりがあれば人間は死なないことが判明 した。このような日々を過ごす中で、私にとって最大のセフティネットとは「安定した仕事につくことでも、銀行にたくさんの金を集めておくことでもなく、自 分にもしものことがあった時に助けてくれる人がどれだけいるかなのだ」と思うようになった。

人間に とっての最大の地獄とは、過酷な状況に陥ることではなく、その状況の中で、自分を助けてくれる人が誰ひとりとして存在しない状況を指すのではないのだろう かと私は思う。私は、奇跡的にこうした生活を通じて「何かあればここに逃げろ!」的な空間を幾つか確保することに成功した。誤解されると困るが、私は「誰 もが私のように家のない(他人に迷惑をかけることを主体とする)生活を送るべきだ」と主張したい訳ではない。このような生き方にはリスクがあるし、誰もが 前向きなエネルギーを獲得できるとは思わない。保証が必要な人間は瞬時に発狂してしまうと思うし、変化よりも安定を求めるタイプの人間は絶対に真似をしな い方が無難だ。私が主張したいのは「自分のことは何もかも自分でやる必要があるのか」ということであり、単純に「お互いに助け合った方が(お互いに出来る ことを持ち合い、足りない所は補い合った方が)暮らしやすい世の中になるのではないのか」ということである。

2014年の夏、私はある 人からテントをもらった。また別の場所では寝袋をもらい、また別の場所ではスーパーカブ(原付自転車)をもらった。この三点を客観的に眺めて見たとき、 「これがあれば充分に生きていけるのではないか」と思った私は、実験的に試してみた。夏という 時期の助けもあり、私はバイクにテントと寝袋を積んで日々を過ごした。まるで問題はなかった。何も高い家賃を払ってマンションに住む必要も、30年ローン を組んで一軒家を買う必要もなく、雨風が凌げて、有る程度の寝るスペースさえあれば、人間は意外と図太く生き抜いていけるのだということを自分の身体を通 じて実感した。
私の生活に必要なものは、基本的にすべて「(自分以外の)他人からの施し」による。 生活に必要な荷物は少なく、人間が生きるために必要なものはそれほど多くないことを知った。もちろん、私の真似をする必要は微塵もなく、誰もが自分が望む ようなライフスタイルを送ればいいのだと思っている。私がこの投稿で主張したいのは「特定の女性から養ってもらうのが「ヒモ」ならば、宇宙(人間社会全 体)から養ってもらうのが『超ひも理論2.0』だ!」というものであり、乱暴にまとめれば「人生は、意外とどうにかなるように出来ているぞ!」ということ を私の生き様を通じて伝えてみたいと思っている。

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